「鬼滅の刃」の時代設定は大正何年?
「鬼滅の刃」は大正時代の日本が舞台。
ここでは「鬼滅の刃」の時代設定について、大正何年頃の話なのか?考察していきます。
ある鬼のおかげでかなり特定できました。是非チェックしてみて下さいね。
大正時代は何年から何年まで?
鬼滅の刃の時代は大正時代と設定されているのは明らかなので、まず前提として大正時代を西暦に変換してみましょう。
大正時代: 1912年7月30日〜1926年12月24日
大正時代は短く大正元年〜大正15年の約15年間になります。
唯一の手がかりは「手鬼」さん
禰豆子が鬼になった第1話は大正何年頃の話なのか?
それを探るヒントとして、コミックス1巻に登場する「手鬼」の叫んでいるシーンが使えそうです。
アァアアア
年号がァ‼︎
年号が変わっている‼︎
出典:鬼滅の刃 1巻第7話 吾峠呼世晴 株式会社集英社 2016年6月8日第1刷
手鬼は慶応の頃に捕まっているので…
狐小僧 今は 明治何年だ
!?
……
今は 大正時代だ
出典:鬼滅の刃 1巻第7話 吾峠呼世晴 株式会社集英社 2016年6月8日第1刷
ここから手鬼は明治時代にはすでに捕まってしまっていたことがわかります。さらに、
知ってるさァ!! 俺を捕まえたのは鱗滝だからなァ
忘れもしない 四十七年前
アイツが まだ鬼狩りをしていた頃だ
江戸時代… 慶応の頃だった
出典:鬼滅の刃 1巻第7話 吾峠呼世晴 株式会社集英社 2016年6月8日第1刷
と手鬼は叫んでいます。
つまり、手鬼が鱗滝さんに捕まったのが炭治郎と対決する47年前の慶応時代。
慶応時代は西暦にすると1865年〜1868年。非常に短い期間です(かなり絞り込める)。
時はまさに幕末。新選組が活躍していたのもこの頃。1867年には大政奉還があり、1868年には明治維新が起こります。
そして手鬼は47年間、藤襲山(ふじかさねやま)に幽閉されていたので炭治郎戦は1912年〜1915年の間の出来事となります。
ここまでを整理すると、
手鬼が捕まった年 | 47年後 | ||
慶応 | 西暦 | 大正 | 西暦 |
元年 | 1865年5月1日〜 | 元年 | 1912年7月30日〜 |
2年 | 1866年 | 2年 | 1913年 |
3年 | 1867年 | 3年 | 1914年 |
4年 | 〜1868年10月23日 | 4年 | 1915年 |
禰豆子が鬼になった年は?
手鬼と対峙するまでの出来事を振り返ると、禰豆子が鬼になった第1話の年も絞り込めます。
・物語は最初から「時は大正時代」1912年以降~
・炭治郎は2年間、鱗滝さんのところで修行
これを踏まえて計算してみると…
物語の最初が1912年の場合
1912年+2年=1914年
炭治郎と手鬼との戦いは1914年になります。手鬼が捕まった47年前は1867年で慶応3年。
物語の最初が1913年の場合
1913年+2年=1915年
炭治郎と手鬼との戦いは1915年1月から1915年10月23日以前になります。47年前は1868年1月〜10月23日だと慶応4年。
物語の最初が1914年の場合
1914年+2年=1916年
炭治郎と手鬼との戦いは1916年となってしまい、47年前は1869年ですでに明治。これ以降はありえない。
手鬼は1867年〜1868年(慶応3年〜4年)に捕まっており、炭治郎達と戦ったのはそれから47年後、1914年〜1915年(大正3年〜4年)だと推測できますね。
さらに冒頭は雪山。1話「残酷」は1912年冬〜1913年はじめ(大正元年〜2年)と推定されます。
加えて炭治郎の「正月になったら」発言。(読者の方からコメントをいただきました。)
正月になったら
みんなに腹いっぱい
食べさせてやりたいし
出典:鬼滅の刃 1巻第1話 吾峠呼世晴 株式会社集英社 2016年6月8日第1刷
これらを踏まえると、
コメント
すごい考察ですね!ワクワクして読みました。
結論
・第1話「残酷」は1912年か1913年( 大正元年〜2年 )
・冒頭は雪山なので1912年冬〜1913年はじめ
さらに絞込めると思います。
↓
冒頭、炭治郎は、「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたいし」と言っているので、正月はまだ来ていない。
よって、1912年年末の冬かと思います。
konamiy様
konamiy様、こんにちは。
コメントありがとうございます。
楽しんでいただけたようで、良かったです。
確かに「正月になったら」発言でさらに絞り込めますね!
追加いたしましたので、また遊びにきて下さいね。
こんにちは、一つだけ時代考証なのですが、1911年の吉原大火によって一帯は灰燼に帰したそうです(崩壊した遊郭の大門から完全に焼野原の写真も残ってます)…その後復興してシンボルの花魁道中が再開したのが1914年だそうですので、遊郭編から逆算しても主の説で概ね合っていると思われます。
ちなみに、江戸時代は遊女の最高位の太夫であれば天皇に謁見できる権利を持つほどの社会的地位でしたが、明治時代の文明開化により欧米の価値観やキリスト教の普及により、女性の人権や人身売買への強い圧力の影響で決して華やかではない性産業へと変貌する過程が大正時代、炭治郎たちが見た遊郭は歴史的にも最後の残り火だったのでしょうね…
ペンギンマン様
ペンギンマン様、こんにちは。
コメントありがとうございます。
なるほど、花魁道中の歴史からも時代考証ができますね。
吉原遊郭末期に妓夫太郎と堕姫が最後を迎えるのは何とも感慨深いです。
また遊びにきて下さいね。