アニメ2期「遊郭編」の舞台は吉原遊郭。
吉原遊郭の読み方は?
モデルはどこ?
ここでは吉原遊郭について掘り下げてみましょう。
吉原遊郭とは?
読み方
上弦の陸である妓夫太郎と堕姫との戦いに臨むのは音柱・宇髄天元とかまぼこ隊。
彼らが死闘を繰り広げる場所は「吉原遊郭」です。
読み方は「よしわらゆうかく」。
「よしはら」ではなく「よしわら」なので、間違えないでくださいね。
モデルは?
モデルとなっているのは実在した吉原遊郭。
名前も同じです。
江戸時代に幕府の公認を受けた当時の日本最大級の遊郭になります。
元々は現在の日本橋人形町周辺に存在していましたが、
江戸の大半を焼いた大火災、江戸の三大大火の筆頭ともいえる明暦の大火によって
浅草寺の裏、日本堤に移転したという経緯があります。
移転前の人形町にあったころの吉原遊郭を「元吉原」、日本堤に移転してからは「新吉原」と呼ばれます。
なので、炭治郎たちが活躍した大正時代の吉原遊郭は日本堤の「新吉原」ということになりますね。
下記地図の真ん中あたりの四角に囲まれた場所が新吉原になります↓
江戸時代の吉原遊郭は男性にとっての社交場であり、高位の遊女たちは当時の女性たちが憧れるファッションリーダーでもありました。
人気の遊女を描いた浮世絵(現在のブロマイドのようなもの)が出回り、そこに描かれた髪形や着物などが流行するようになったのです。
とはいっても遊女たちは基本的には貧しさのため親に売り払われた存在であり、借金を返すために働いていたという現実を忘れてはならないでしょう。
花魁のような高位の遊女たちはその美貌もさることながら、
幕府のお偉方を相手に一歩も引けを取らない知性、教養の高さを持ち、
さらに三味線や茶道などの芸事にも通じ何事においても一流であったとされています。
しかしそういった花魁まで上り詰めるものはほんのわずか。
花魁がいるような大見世の遊女たちはまだ恵まれていましたが、下層の遊女たちは裏通りで悲惨な生活を送っていたのです。
たとえ花魁になったとしても病気などで働けなくなると過酷な現実が…。
妓夫太郎と堕姫が生まれ育った羅生門河岸は、そういった病気の遊女や年老いた遊女などの下級の遊女が集まる、吉原遊郭の中でも最下層の場所。
華やかさばかりが注目されがちな吉原遊郭ですが、そこには光と影が存在していました。
二人の兄妹鬼は、吉原遊郭の影の部分を体現しているといえます。
羅生門河岸を詳しく見てみる
まとめ
・「吉原遊郭」は「よしわらゆうかく」と読む
・吉原遊郭は江戸幕府公認の遊郭
・大正時代の吉原遊郭は日本堤あたりにあった
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F%E9%81%8A%E5%BB%93
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB
https://liginc.co.jp/gogo/archives/1903
アニメの放送スケジュールを見てみる
関連記事
コメント